【私の中にいる殺人鬼が愛しかできない人類モデルへ】
こんにちは。ひねくれリセッターのこうたです!
つい衝動的になって、もう全てがどうなってもいい!最高に自暴自棄になる瞬間てありませんか?
私は、自暴自棄になったときの行動の一つとしてこんなことをよくやってました。
全ての外をシャットダウンして、家に引きこもる。ケータイも電源オフ!
学生の頃であれば、学校にも友達にも先生にも連絡しない。バイトも無断欠勤、もしくはメール連絡で済ます。
社会人になってからは、仮病や身内の不幸を盾にする。
家で何をするかというと。
寝る、youtube見る、普段はあまり食べないインスタント食品やお菓子を暴飲暴食する。
全てがどうでもいい!自分が何をやっても、何をやらなくても、この世界は何一つ変わりなく回る。
「どうせ死ぬもんじゃないし。」
このとき、私の頭の中にある唯一の判断基準はこれでした。
そして気がつくのです。
あ、これ、本当に感情的になって理性をなくしてしまったとき、自分を殺せる。
自分の存在感を常に模索してきた私にとって、”死”は身近なものでした。
それとは対称的に”愛”を強く求めていました。どうやら私にとって死の対義語は愛でした。
では、愛とはなんなのか。
一番イメージしやすい愛のモデルは両親でしたから、よく見ていました。
同じ空間で生活を共にし、時間を共有することで、愛は育まれるのか。
正直、そうは見えませんでした。
私自身、人のことは大好きでしたから、友達関係も恋愛もたくさんしてきました。
同性でも異性でも、どうしたら本当に理解し合い、愛し合えるのか。
愛そうと思っても愛し方もわからない。
そもそも愛がなんなのかがわからない。
愛したいのに愛せない。
感情表現を我慢して、人と繋がることに遠慮し、そんな自分を自己否定し、恐怖し不安し不信し諦め挫折し孤独になっていきました。
その結果、どうなっていくと思いますか?
環境、状況、条件、相手によって、コロコロコロコロ変化する自分。
合わせて合わせてフリをし続ける自分。
本当に今、自分が感じていることがなにかもわからないまま、その場しのぎをする。
そんな生き方しかできない自分が、嫌で嫌で仕方ありませんでした。
そんな私が憧れるのは、一貫性のあるブレない自分でした。
この一貫性こそが、愛であり真理であり、本当の意味で人間らしく生きるキーワードであることを学びました。
少し目線を広げ世界を見たとき、戦争も終わらず動物レベルの生き方しかできない人類の現在地があります。
分離断絶から始まる戦争の土台を終わりにさせ、愛しかできない人類にしていきたい!
人類としての愛のモデル
今の時代を生きる生き方のモデル
日本人としてのリーダーシップのモデル
チームプレーでクリエイティブ、イノベーションを生み出すモデル
そんな自分として、変化成長していきます!
本日も読んでくださりありがとうございました!
またねー(*^^*)
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