【Part5 私はなんのために生まれてきたのか ~ 社会の役に立ちたい私の、存在意義を探し続けるストーリー ~】
本日もご訪問くださりありがとうございます。ひねくれリセッターのこうたです。
それで、結局あなたは何がしたいの?という質問をよくいただくので、私がどんな人間でどんなことをやっていこうとしているのかを、少しずつお話ししていくコーナーです。
前回は、私は存在感のない人間なのだと決断してしまってからどんな人生を送っていたのか、その中心軸となる判断基準のお話をしました。
存在感のない私が、存在するためにとった手段は、できるだけ人といる事。
人といれるかいれないかが重要な判断基準でした。
そして、どんな人といるかというと、私のことを受け入れてくれそうな人です。もう二度と捨てられたくない!そんな気持ちから生まれた基準です。
そんな判断基準をもちながら、孤独、寂しい、疎外感、悲しい、諦め、絶望、不安、恐怖、そういった感情に蓋をして、嬉しい、楽しい、歓喜、といった感情を積極的に探して感じるようになっていきました。
だって、存在感のない自分を感じたくないから。
少しでも自分ができないことや否定されるようなことはしないし、触れない。
もう一度言いますが、また捨てられてしまうかもしれないという、あのときの感情は二度と味わいたくない。マイナスな感情や出来事は避けて、プラスなものをどんどん見つけていました。
それでも出てくるのが感情です。どんなに蓋をして鈍感になったとしても、込み上げてきます。しかし、込み上げてくるならまだましかもしれません。感情というものは、意識できずともそこにあるのです。無意識のうちに抱え込んで、知らず知らずに蓄積していくものです。気がつかない分だけこっちの方がやっかい。
そんな私が抱えていた感情の根っこの部分は“無気力”でした。
無気力を調べてみると↓
無気力
むきりょく
helplessness
気力のないこと。進んで何かをしようとする意欲のないこと。また、そのさま。
とのこと。
そんな無気力と人生を通してどう付き合っていったのか、そこからどのように変化していったのかは、また次回以降で。
読んでくださりありがとうございました。
またねー(*^^*)
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