【Part3 私はなんのために生まれてきたのか ~ 社会の役に立ちたい私の、存在意義を探し続けるストーリー ~】
【Part3 私はなんのために生まれてきたのか ~ 社会の役に立ちたい私の、存在意義を探し続けるストーリー ~】
本日もご訪問くださりありがとうございます。ひねくれリセッターのこうたです。
それで、結局あなたは何がしたいの?という質問をよくいただくので、私がどんな人間でどんなことをやっていこうとしているのかを、少しずつお話ししていくコーナーです。
小学校3年か4年生の頃のお話です。
両親のことが大好きだったわたしは、2人を裏切りたくないし2人と一緒にいることが全てだったので、2人の意にそぐわないことはやめようと静かに決意しました。
(※パート2参照)
そんな私が人生最大のショックな事件が起きました!
さて、ここで質問です。
みなさんにとって親とはどんなイメージでしょうか?
私は幸いなことに、実の母と実の父と共に暮らしてきました。
子どものわたしにとっては、両親が世界の全てであり、彼らがいることで自分という存在を感じることができていました。
2人はとても仲が良く、ケンカしている姿など見たことありません。そんな2人の関係性が理想の関係性でもありました。
ある日、リビングでテレビを見ていました。キッチンから声がするのです。それは、両親のケンカの声でした。
異常な恐怖を感じていたのを覚えています。音としての声は聞こえてくるけれど、会話としての声は耳に入らないようにしていました。
両親がケンカをしていることすら気がついてはいけないことのように思い、リビングで流れているテレビだけに集中しようと必死でした。
しかし、恐怖がわたしの中に流れ込んでいて、そこに座っていることが精一杯。
そしてその時がくるのです。
母が私のところへきました。
ドタドタドタ!
…
母「こうた、じゃあね!お父さんと仲良く暮らすんだよ!」
…
感情的になっている母の声は、まるでナイフでも突き刺さったかのように、私の心の奥深くにズドンと入ってきました。
その後のことは覚えていません。
本当に思い出せないのです。
たぶん、泣いたのでしょう。
たぶん、愕然としたのでしょう。
たぶん、母を止めようとか父に説得してもらおうとかはせず、受け止めきれない言葉を、ただただ無かったことにしたかったのだと思います。
このことを思い出して話せるようになるまでは、恐怖が体を駆け巡り、どうしようもない焦燥感と、なんとかせねばという考えが走りました。
今ではこうして客観的な事実の1つとして、そして今の私を作り出す大切な出来事の1つとして話すことができます。
両親が世界の全てであった私にとって、その環境がなくなることは、魚が海から陸に上げられて呼吸ができないような、もがき苦しみ死に直結することとイコールです。
なぜこんなことが起きてしまったのか。子どもの心で受け止め、子どもの頭で考え出した結論。それは、やっぱり僕はいらない子だったんだ。
いてもいなくても変化のない存在。
存在感のない私。
そう決断してしまったのです。
ここから、私の人生がスタートします!
そうです!このコーナーのタイトルである、「私はなんのために生まれてきたのか ~ 社会の役に立ちたい私の、存在意義を探し続けるストーリー」のはじまりです。
みなさんに勘違いしてほしくないことがあります!それは、母が悪いわけでも、父が悪いわけでも、わたしがいけないわけでもないということ!
そして、今でも家族仲良く暮らしているということ!(空間的には、わたしは両親の元を独立して離れて暮らしてますけどね。)
さぁ、ストーリーとしては起承転結のうち、起にあたります!
これからどうなっていくのか、お楽しみに!
ここまで読んでくださってありがとうございます!
じゃ、またねー(*^^*)
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